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講演「坂の上の雲で司馬遼太郎が書きたかったこと」

  • 2009-11-07 (土) 20:39
  • 講演
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「坂の上の雲」で司馬遼太郎が書きたかったこと
本日は、NHKカルチャーの秋のおすすめ講座
NHKスペシャルドラマ 司馬遼太郎「坂の上の雲」放送開始 特別企画
『「坂の上の雲」で司馬遼太郎が書きたかったこと』の講演に出かけました。

講師は文芸評論家の松本健一先生(麗澤大学教授)

まずは講演の冒頭で、今年生誕100周年を迎える太宰治のお話をされ、では太宰治と司馬遼太郎の明確な違いは何かということで、太宰は近代小説の代表であるのに対して、司馬は国民文学の代表者であるということだそうです。

(文学の事はよくわかりません・・・)

国民文学とはその時代の国民性・民族性がよく表された特有の文学のことであり、その国民作家と呼ばれる代表は明治の文豪夏目漱石、『宮本武蔵』の吉川栄治、そして司馬遼太郎が挙げられます。

その司馬遼太郎の代表作『坂の上の雲』は、明治時代の日露戦争を描いた小説であり、「日露戦争は(明治)国民の戦い」であったことを訴えた点で国民文学と呼ばれるようです。

もう一つは、太宰治の『人間失格』に代表されるような「私を見て欲しい!」という物ではなく、(私はダメだが)歴史上にはこんな素晴らしい人物がいた、その「彼を見て欲しい!」というのが司馬遼太郎の特徴だそうです。

これを、He’s story(ヒズストーリ)と言い、捩って司馬のヒストリー(歴史)と呼ぶそうです。

次の特徴がナンバー2論。(又はナンバー3)

司馬遼太郎は当時誰もが当然の事として思っていた史実に旋風を起します。例えば明治維新の功績は木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通という「維新の三傑」が定説であったのに対して、そこに無名の志士坂本龍馬を登場させます。
竜馬がゆく〈1〉 (文春文庫)

また新撰組と言えば近藤勇の新撰組と言われたところに副長の土方歳三を登場させ彼らの活躍を見事に描きます。
燃えよ剣〈上〉 (新潮文庫)

当時は坂本龍馬、土方歳三は全く無名の人物でしたが、これにより歴史の価値観が大きく変わることになります。

そして「坂の上の雲」では、当時は日露戦争は明治天皇の御威光で勝てた戦争と思われた事に対して、秋山兄弟という一国民を登場させることで、一人一人が歯車を廻す力が大きな歯車を動かした、すなわち国民の力で勝った戦争であることを訴えのでした。
坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)


さらには、司馬遼太郎のリアリズムの追及。

歴史の大事は、ロマンチストによって動くのではなく、現実をあるがままに捉えた者が大事をなしているという事実。その代表が坂本龍馬であり福沢諭吉であるということ。

「坂の上の雲」でも、秋山好古の機関銃の導入、秋山真之の丁字戦法、児玉源太郎の二八サンチ砲の導入など、状況を踏まえた上で彼らがとった作戦(行動)を合理的な精神として大きく湛えます。

一方で、乃木希典に対しては、仁と義の精神のみで戦う愚かなロマンチストとして批判し、「乃木愚将論」を展開させます。また乃木は国民の為に戦ったのではなく明治天皇の為に戦ったのであるとし、それでは、上述で記した国民の力で勝った戦争の舞台には相応しくない人物であると司馬は排除するのでした。

「乃木愚将論」の賛否が問われる『坂の上の雲』ですが、ここで気付かなければならないのは、司馬は『坂の上の雲』で明治天皇を登場させていません。

『坂の上の雲』を国民の力で勝った戦争であると完成させる為に、司馬は当時は誰もが信じた明治天皇の御威光を排除し、乃木希典を愚将化させることで、秋山兄弟や児玉源太郎のリアリズム(合理的な精神)を引き立たせたということです。

『坂の上の雲』で夏目漱石の登場が少ないのも、後の『こころ』で乃木の自殺をを賞賛した夏目を登場させることは不味かったのかもしれません。

さて、正岡子規です。

司馬は正岡子規の現実をあるがままに見る「写生」の考えを「リアリズム」に重ね合わせます。『坂の上の雲』での子規の役割は「リアリズム」の象徴ということになります。

ちなみに、誰もが知っている子規の代表句「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」。この句がなぜ良句なのか現在の人たちには理解し難いかもしれませんが、日本の和歌の歴史において、「柿」などというものに美を感じて詠んだ者は一人もいませんでした。

万葉集で一番よく謳われるものは「萩」で、続いて「梅」だそうです。昔の人は、今でこそ日本人の心と言われる目の前にある「桜」などにも見向きもせず、ひたすらに知らない土地の憧れのものに美を追求します。「萩」は奥州、「梅」は中国大陸という平安人にとっては未知の土地の憧れを意味したものです。

そこに正岡子規が登場し、もっと目の前のある美に気付くべきだという「俳句革新」を起させ、先ほどの「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」というのは、当時はとても画期的な意味をなしたのでした。

この正岡子規の「写生」の精神こそが、司馬遼太郎の「リアリズム」の起点となっているのでしょう。

とまあ、大雑把ではありますが講演の内容を記してみました。
(ところどころ私見も混入しており、あくまでも正確ではありませんのでご了承下さい。)

今回の講演は目からウロコが2、3枚落ちるほど為になるお話でした。

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