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秋山好古の赴任した愛知県師範学校が判明

白鳥小学校
秋山好古が校長を務めた神戸小学校(現、白鳥小学校)

以前、秋山好古が赴任した「愛知県立名古屋師範学校付属小学校」を捜そうということで、いろいろと調べてみたのですが、結局決めてもなくそのまま諦めてしまいました。
秋山好古の赴任した愛知県師範学校

それが2009年12月10日の中日新聞で「発見!」されます。

千竈学校は1873(明治6)年、小学校に先行して設置された義校で、名古屋市熱田区の宮宿「南部赤本陣」跡につくられた。後に神戸(ごうど)小になり、戦後は白鳥小に統合された。
1972(昭和47)年の白鳥小百年誌は、秋山好古を「明治9年、18歳(数え年)の若さで神戸小校長に迎えられ、翌10年5月、校長の地位を捨て創設間もない陸軍士官学校へ入学した」と紹介。白鳥小の池田司校長は「誇らしいこと。歴史と伝統ある学区だとあらためて認識する」と話す。
同小八十年誌や郷土史「熱田風土記」も、秋山を千竈学校長と明記。月俸は当時としては破格の20円。48年に出版された風土記三巻の南部赤本陣の欄には、南部家10代新五左衛門の妻つげが教育熱心で、秋山を呼び、さらに人物を知って軍人に転向させたらしい、と記されている。
小説や伝記(1936年、秋山好古大将伝記刊行会出版)では、秋山は大阪師範学校を卒業し、愛知県立師範学校付属小に勤務後、陸軍士官学校に入学したとされる。教員時代や軍人になった動機は、よく分かっていない。
中日新聞(2009年12月9日)の記事より


何と言って良いのか、全く以て別の場所を当っていたのですね私は・・・。
そりゃ見つかる訳がありません。

それにしても、18歳で校長だったとは驚きました。

もっと驚いたのが、

司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』では秋山好古の陸軍士官学校行きを勧めたのは和久正辰となっていますが、山中峯太郎の『将軍秋山好古』では、仙台に転勤することになった和久正辰が「一緒来い」と秋山好古を誘いますが、好古自ら丁重に断り、自らの意志で陸軍士官学校に進んだと記されています。

諸説分かれてはっきりとしていませんでしたが、今回発見された記録では、南部家10代新五左衛門の妻つげが教育熱心で、秋山を呼び、さらに人物を知って軍人に転向させたらしいということが記されていますので、これは実に面白い発見です。

ちなみに、秋山好古が赴任した神戸小学校(現、白鳥小学校)のすぐ隣には熱田神宮があります。

熱田神宮
熱田神宮

熱田神宮と言えば、騎兵の天才織田信長が桶狭間の戦勝後に寄進した築地塀「信長塀」がありますが、秋山好古もこの塀を見たことでしょう。もしかすると、秋山好古が陸軍に入り騎兵科を選択したのは、ここに縁があるのではないかと想像してしまいます。

とにもかくにも、名古屋にも新しい名所ができたということはめでたしめでたしです。

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