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坂の上の雲 Archive

『サライ』12月号 特集「『坂の上の雲』に倣う無私の心」

サライ
『サライ』12月号の特集は、「坂の上の雲」です。

秋山兄弟、広瀬武夫、東郷平八郎… 近代日本を背負った明治の雄
『坂の上の雲』に倣う無私の心

司馬遼太郎の長編小説『坂の上の雲』は、明治維新から日露戦争までの約30年間にわたる“日本の青春時代”を描いた物語である。近代化を目指して変貌してゆく時代のなかで、自己の役割を精一杯果たそうとした人々の気概を知る。

主な内容は、

・近代日本を作った志士の群像1 秋山好古・秋山真之
兄は日本騎兵の草創期を支え、弟は連合艦隊の戦略戦術を担う

・近代日本を作った志士の群像2 広瀬武夫
豪放磊落で知られる海軍中佐が最後に見せた部下思いの優しさ

・近代日本を作った志士の群像3 児玉源太郎
天才的戦略家であるとともに、生涯友情をわすれなかった好漢

・近代日本を作った志士の群像4 東郷平八郎
日本海海戦を勝利に導いた海軍きっての「強運」持ち主

・『坂の上の雲』を歩く1 正岡子規が暮らした東京
子規が青春を過ごし、生命の灯火を燃やし続けた地を歩く

・『坂の上の雲』を歩く2 司馬遼太郎記念館
司馬の蔵書の中で作品世界と対話する

・TVドラマ『坂の上の雲』案内
日露戦争の激闘と秋山兄弟のその後を描く完結編

です。

ちなみに、

サライ
95ページの広瀬武夫が水雷長として乗船した軍艦「朝日」搭載のカッターの写真は、

私が写したものです。

あしからず。


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秋山好古・多美夫妻の旅行地、北条鹿島

秋山好古、多美夫妻
昨年のNHK松山のニュース(2010年12月24日)で、

小説「坂の上の雲」の主人公の1人で、松山市出身の軍人、秋山好古が、退役後、学校の校長として単身赴任していた松山で妻と共に撮影された初めての写真が見つかりました。専門家は「退役後の好古のプライベートの記録は極めて少なく、貴重だ」と話しています。
秋山好古は、明治時代、騎兵隊を率いて日露戦争に出征した軍人で、日本騎兵の父といわれ、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の主人公の1人として描かれています。写真は、秋山好古が退役後、妻の多美や友人らと一緒に現在の松山市沖の鹿島を訪れた際に写したもので、裏に昭和4年7月15日の撮影日と鹿島には釣りのために訪れたというメモ書きがあります。当時、好古は、松山の北予中学校の校長として家族を東京に残して単身赴任していて、これまで妻の多美が松山に来たという記録は残っていませんでした。しかし、写真に一緒に写っている男性の孫で、松山市に住む渡部静さん(70)の自宅に写真が残っていることが分かりました。写真は好古が校長を辞める前の年に撮影されていて、松山市の博物館「坂の上の雲ミュージアム」の徳永佳世学芸員は「校長を辞めるにあたって妻と一緒に旅行をしたのではないか。退役後の好古のプライベートの記録は極めて少なく、家族との関係や好古の趣向を知ることができる貴重な資料だ」と話しています。

小説「坂の上の雲」の主人公の1人で、松山市出身の軍人、秋山好古が、退役後、学校の校長として単身赴任していた松山で妻と共に撮影された初めての写真が見つかりました。専門家は「退役後の好古のプライベートの記録は極めて少なく、貴重だ」と話しています。

秋山好古は、明治時代、騎兵隊を率いて日露戦争に出征した軍人で、日本騎兵の父といわれ、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の主人公の1人として描かれています。写真は、秋山好古が退役後、妻の多美や友人らと一緒に現在の松山市沖の鹿島を訪れた際に写したもので、裏に昭和4年7月15日の撮影日と鹿島には釣りのために訪れたというメモ書きがあります。当時、好古は、松山の北予中学校の校長として家族を東京に残して単身赴任していて、これまで妻の多美が松山に来たという記録は残っていませんでした。しかし、写真に一緒に写っている男性の孫で、松山市に住む渡部静さん(70)の自宅に写真が残っていることが分かりました。写真は好古が校長を辞める前の年に撮影されていて、松山市の博物館「坂の上の雲ミュージアム」の徳永佳世学芸員は「校長を辞めるにあたって妻と一緒に旅行をしたのではないか。退役後の好古のプライベートの記録は極めて少なく、家族との関係や好古の趣向を知ることができる貴重な資料だ」と話しています。

*写真は秋山兄弟生家に展示されていたものを撮影しています。


ということで、秋山好古、多美夫妻が旅行で訪れたという鹿島に行って参りました。

北条鹿島
北条鹿島とは松山市北条の前面400mに浮かぶ周囲約2kmの小島です。
その昔は、中世における伊予の国の覇者、河野氏の海域の古城でありました。

P1040901
その島にフェリーで渡ります。(約3分ぐらい)。

太田屋旅館
島に到着すると、まず目に入るのが「鯛めし」で有名な太田屋旅館です。

乃木希典書の戦没紀念碑
そして、乃木希典書の戦没紀念碑もありました。

続いて、登山口から鹿島頂上を目指しました。

鹿
すると、突然鹿さんに出くわします。

鹿
「鹿島」とい名だけあって、島には野生の鹿が生息しています。

鹿島城
山の中腹で、鹿島城の案内板を見つけました。

中世における伊予の国の覇者、河野氏の海域の古城跡であるが、最後の城主来島通総は豊臣秀吉の四国征伐に先鋒水軍として活躍した功により、鹿島城主に任ぜられたが、関ヶ原の戦いの際、西軍に加わった関係から、豊後国森に転封され廃城となった。島の頂上、南角等に築城、当時のものらしい石積の崩れた姿が残っている。

約20分ぐらいで頂上に到着。

鹿島頂上からの眺め
頂上からの眺めはこんな感じです。

小説『坂の上の雲』で、秋山好古が「おまえ、秋山家の先祖が伊予水軍であることを知っているか」と言うセリフがありますが、

好古自身、どんな思いでこの島に訪れたのでしょうか。

秋山好古がこの頂上に登ったかどうかはわかりませんが、一人思いにふけるのでした。

今年の5月27日は

本日は5月27日は日本海海戦の日(1905年)です。

これを記念して、昨年の5月27日はNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」のロケ見学で加賀市に行きましたが、今年は松山市へ行って参りました。

P1040817
まずは、秋山兄弟生家で秋山眞之中将像にご挨拶。

Z旗
するとそこには、日本海海戦を記念してZ旗が掲揚されていました。

Z旗とは http://www.z-flag.jp/main/information.html

その後は、坂の上の雲ミュージアムに移動し、企画展「バルチック艦隊と真之」を見学。
http://www.sakanouenokumomuseum.jp/display/now/

秋山真之
そこで、対バルチック艦隊への作戦を練る参謀秋山真之の姿を目撃したのでした。

秋山好古の赴任した愛知県師範学校が判明

白鳥小学校
秋山好古が校長を務めた神戸小学校(現、白鳥小学校)

以前、秋山好古が赴任した「愛知県立名古屋師範学校付属小学校」を捜そうということで、いろいろと調べてみたのですが、結局決めてもなくそのまま諦めてしまいました。
秋山好古の赴任した愛知県師範学校

それが2009年12月10日の中日新聞で「発見!」されます。

千竈学校は1873(明治6)年、小学校に先行して設置された義校で、名古屋市熱田区の宮宿「南部赤本陣」跡につくられた。後に神戸(ごうど)小になり、戦後は白鳥小に統合された。
1972(昭和47)年の白鳥小百年誌は、秋山好古を「明治9年、18歳(数え年)の若さで神戸小校長に迎えられ、翌10年5月、校長の地位を捨て創設間もない陸軍士官学校へ入学した」と紹介。白鳥小の池田司校長は「誇らしいこと。歴史と伝統ある学区だとあらためて認識する」と話す。
同小八十年誌や郷土史「熱田風土記」も、秋山を千竈学校長と明記。月俸は当時としては破格の20円。48年に出版された風土記三巻の南部赤本陣の欄には、南部家10代新五左衛門の妻つげが教育熱心で、秋山を呼び、さらに人物を知って軍人に転向させたらしい、と記されている。
小説や伝記(1936年、秋山好古大将伝記刊行会出版)では、秋山は大阪師範学校を卒業し、愛知県立師範学校付属小に勤務後、陸軍士官学校に入学したとされる。教員時代や軍人になった動機は、よく分かっていない。
中日新聞(2009年12月9日)の記事より


何と言って良いのか、全く以て別の場所を当っていたのですね私は・・・。
そりゃ見つかる訳がありません。

それにしても、18歳で校長だったとは驚きました。

もっと驚いたのが、

司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』では秋山好古の陸軍士官学校行きを勧めたのは和久正辰となっていますが、山中峯太郎の『将軍秋山好古』では、仙台に転勤することになった和久正辰が「一緒来い」と秋山好古を誘いますが、好古自ら丁重に断り、自らの意志で陸軍士官学校に進んだと記されています。

諸説分かれてはっきりとしていませんでしたが、今回発見された記録では、南部家10代新五左衛門の妻つげが教育熱心で、秋山を呼び、さらに人物を知って軍人に転向させたらしいということが記されていますので、これは実に面白い発見です。

ちなみに、秋山好古が赴任した神戸小学校(現、白鳥小学校)のすぐ隣には熱田神宮があります。

熱田神宮
熱田神宮

熱田神宮と言えば、騎兵の天才織田信長が桶狭間の戦勝後に寄進した築地塀「信長塀」がありますが、秋山好古もこの塀を見たことでしょう。もしかすると、秋山好古が陸軍に入り騎兵科を選択したのは、ここに縁があるのではないかと想像してしまいます。

とにもかくにも、名古屋にも新しい名所ができたということはめでたしめでたしです。

正岡子規の<楽しむ力>

正岡子規の<楽しむ力>
写真は11月10日に発売されました、正岡子規研究の第一人者であられる坪内稔典先生の『正岡子規の<楽しむ力>』です。

書評
子規といえば、真っ先に思い浮かぶのは、“柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺”だろうか。けれども短い生涯にもかかわらず、じつに豊穣で多産な人生であった。短詩型の革新を試み、小説や漢詩を創作し、野球に熱中し、写生や落語を楽しみ、最後は病気まで楽しんだ。新たな視点で描く、子規流人生の愉しみ方。

坪内 稔典
1944年、愛媛県生まれ。京都教育大学名誉教授・佛教大学文学部教授。立命館大学大学院修士課程修了。子規研究の第一人者であり著書多数。俳誌「船団の会」代表。ネンテンさんの呼び名で親しまれる


正岡子規と言えば、病気で苦しんだ人というイメージを持たれる方が多いようですが、小説「坂の上の雲」では、子規は実に元気で、とてもユーモラスな人物として描かれています。

この正岡子規という人物に興味を抱いた私は、それから子規に関わる書籍を何冊か購入して読んではみましたが、これが驚くほどに、子規という人ほどその生涯を楽しんだ人はいないのではないかと思い知らされ、今ではすっかり子規の魅力にひきこまれています。

そんなこんなで、私のサイトで「正岡子規」伝なるものを公開していますが、実は上述の出版に携わったNHK出版の方が偶々見つけられて、それが縁で『正岡子規の<楽しむ力>』をプレゼントして下さいました。

この場をお借りして御礼申上げます。

11月29日から放送されますNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」が始まる前に読んでおくと、子規という人が100倍より面白くなる一冊です。

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