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明治の野球を再現、「正岡子規記念球場」

正岡子規と野球

26日、東京・上野公園にある「正岡子規記念球場」で、
明治時代の野球を再現した「の・ボール」大会が開かれたようです。

本日は、その模様を紹介したYahoo!写真ニュース「雑記帳 明治の野球を再現 「正岡子規記念球場」で 東京」に、当サイト内の「正岡子規と野球」が関連リンクで紹介されました。

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ありがとうございます。

秋山好古、陸軍大将となる

1916年(大正5年)11月16日、秋山好古は陸軍大将となります。ついに軍令部における最高指揮官となりました。
この明治陸軍の階級を列記してみますと、

  1. 陸軍軍人とは将校より以下下士兵卒に至るまでの総称にしてかの如く大別す
    将校  准士官  下士  兵卒 
  2. 将校は将官、上長官、士官の総称なり、但し上長官を一に佐官といい、士官を一に尉官という
  3. 将官とは大将、中将、少将をいう
  4. 上長官(佐官)とは大佐、中佐、少佐をいう
  5. 士官(尉官)とは大尉、中尉、少尉をいう
  6. 准士官とは特務曹長、砲兵及び工兵の上等工長、上等計手、楽長補をいう
  7. 下士とは曹長、軍曹、伍長、上等工長を除く外なる諸工長、看護長、計手、楽手をいう
  8. 相当官とは武官に相当する諸官にして経理部、衛生部、獣医部、軍楽部等の職員をいう、これに将官の相当官あり、上長官の相当官あり、士官の相当官あり
  9. 兵卒とは上等兵、一等兵、二等兵、輸卒、助卒、看護手、楽手補、楽生をいう
  10. 将校及び将校相当官は高等官、准士官及び下士は判人官、憲兵上等兵は判人官待遇なれども、他の科の上等兵及び一、二等卒は判人待遇にあらず

『入営必携騎兵学術通解』(明治38年)より

となります。
では、最高指揮官の大将に昇進するまでには、何年を必要とするのでしょうか?
秋山好古の官歴を拝見しますと、好古は1879年(明治12年)に陸軍士官学校騎兵科を卒業し少尉となります。当時21歳です。
それからの進級は下記の表となります。
進級 最下期限  秋山好古の場合
少尉から中尉  2年 1883年(25歳) 中尉 *4年を要す
中尉から大尉  2年 1886年(28歳) 大尉 *3年を要す
大尉から少佐  4年 1892年(34歳) 少佐 *6年を要す
少佐から中佐  3年 1895年(37歳) 中佐  
中佐から大佐 2年 1897年(39歳) 大佐  
大佐から少将  2年 1902年(44歳) 少将 *5年を要す
少将から中将  3年 1909年(51歳) 中将 *7年を要す
中将から大将 定めない 1916年(58歳) 大将 *7年を要す
1887年から1891年にはフランスに留学しましたので進級が其の分だけ見送られています。また、日露戦争の奮戦にもかかわらず昇進が見送られているのがわかります。やはり薩長派閥でないと昇進は難しいといえます。
なお、中将から大将に進むには、歴戦者または功績特に顕著なる者に特旨をもって親任することになりますので最下期限を定めません。
親任とは、1886年(明治19年)の高等官官等棒給令に規定された勅任官のなかから、天皇の親任によって叙任されます。内閣総理大臣・各省大臣のほか、台湾総督と並び陸海軍大将は親任官となります。よって大将は最高級の官吏でもあります。

秋山好古、逝く

秋山好古の墓 東京青山霊園の秋山好古のお墓
1930年(昭和5年)11月4日午後7時10分、秋山好古は息をひきとりました。(享年72歳)

全文を読む

一太郎やあい

老母が出征する息子の見送りに港まで駆けつけ、すでに岸を離れた船中の息子に向かって、兵士として忠君愛国を貫くように説いた軍国美談「一太郎やあい」。

「一太郎やあい。その船に乗っているなら、鉄砲をあげろ。」
とさけんだ。
すると甲板の上で鉄砲を上げた者がある。おばあさんは又さけんだ。
「うちのことはしんぱいするな。天子様によく御ほうこうするだよ。わかったらもう一度鉄砲をあげろ。」
すると、また鉄砲を上げたのがかすかに見えた。

『日本教科書体系』(近代編第7巻381-382項)より

この日露戦争時の美談の原型を作ったのは、香川県第一部長桑原八司でした。
桑原曰く、

突然後方より岡本と叫ぶものあり、顧みれば六十歳計りの一老婆今将ニ十数間岸を離る、端艇中にありし一兵士なる其子を呼びしなり、其老婆は粗衣垢面一見貧家の寡婦たるを知れるが、直立凝視猶其声を続けて曰く、「オカアは茲に居る」「しっかり遣て来いよ」「出征して帰れよ・・・」「オカアは待って居るぞよ」と言いしに、天なる哉母の声の耳に入りしと見え其子は高く銃を上げれば、母は大に悦び「御前の顔を見て安心したよ・・・・・・もう一度銃を上げてくれ」 と言いければ、其兵士は再び銃を上げたり、此時老婆は予と相距る一間許なれば能く其状を詳にせしが・・・・・・

香川県編『明治三十七八年戦役ニ関スル香川県記録』より

と、語っています。
ただ、桑原語録の文中「出征して帰れよ・・・」は日本語として不自然であり、どうやら「出世して帰れよ」を聞き間違えたか、はたまた故意に漢字を変えることで意味を修正し、「出征美談」に仕立て上げたのではないかと云われています。
この話は、年月とともにさらに誇張され、虚構化され、軍国美談「一太郎やあい」となります。そして、1927年(昭和2年)の衆議院で田中万逸が愛国心の模範として賞賛したことにより、国定教科書中の傑作と呼ばれることとなります。

丹波哲郎さん逝く

二百三高地 俳優の丹波哲郎さんが亡くなりました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
丹波さんといえば、「明治天皇と日露大戦争」(新東宝作品)の島村速雄役に、そして「二百三高地」(東映)の児玉源太郎役がハマっていました。
また大好きな役者さんがいなくなってしまいました。
リメイクされた映画「日本沈没」では写真のみで出演したとか。
2008年放映予定のNHK21世紀スペシャル大河ドラマ「坂の上の雲」でも是非出演していただきたいと思います。

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