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秋山好古 Archive

秋山好古・多美夫妻の旅行地、北条鹿島

秋山好古、多美夫妻
昨年のNHK松山のニュース(2010年12月24日)で、

小説「坂の上の雲」の主人公の1人で、松山市出身の軍人、秋山好古が、退役後、学校の校長として単身赴任していた松山で妻と共に撮影された初めての写真が見つかりました。専門家は「退役後の好古のプライベートの記録は極めて少なく、貴重だ」と話しています。
秋山好古は、明治時代、騎兵隊を率いて日露戦争に出征した軍人で、日本騎兵の父といわれ、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の主人公の1人として描かれています。写真は、秋山好古が退役後、妻の多美や友人らと一緒に現在の松山市沖の鹿島を訪れた際に写したもので、裏に昭和4年7月15日の撮影日と鹿島には釣りのために訪れたというメモ書きがあります。当時、好古は、松山の北予中学校の校長として家族を東京に残して単身赴任していて、これまで妻の多美が松山に来たという記録は残っていませんでした。しかし、写真に一緒に写っている男性の孫で、松山市に住む渡部静さん(70)の自宅に写真が残っていることが分かりました。写真は好古が校長を辞める前の年に撮影されていて、松山市の博物館「坂の上の雲ミュージアム」の徳永佳世学芸員は「校長を辞めるにあたって妻と一緒に旅行をしたのではないか。退役後の好古のプライベートの記録は極めて少なく、家族との関係や好古の趣向を知ることができる貴重な資料だ」と話しています。

小説「坂の上の雲」の主人公の1人で、松山市出身の軍人、秋山好古が、退役後、学校の校長として単身赴任していた松山で妻と共に撮影された初めての写真が見つかりました。専門家は「退役後の好古のプライベートの記録は極めて少なく、貴重だ」と話しています。

秋山好古は、明治時代、騎兵隊を率いて日露戦争に出征した軍人で、日本騎兵の父といわれ、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の主人公の1人として描かれています。写真は、秋山好古が退役後、妻の多美や友人らと一緒に現在の松山市沖の鹿島を訪れた際に写したもので、裏に昭和4年7月15日の撮影日と鹿島には釣りのために訪れたというメモ書きがあります。当時、好古は、松山の北予中学校の校長として家族を東京に残して単身赴任していて、これまで妻の多美が松山に来たという記録は残っていませんでした。しかし、写真に一緒に写っている男性の孫で、松山市に住む渡部静さん(70)の自宅に写真が残っていることが分かりました。写真は好古が校長を辞める前の年に撮影されていて、松山市の博物館「坂の上の雲ミュージアム」の徳永佳世学芸員は「校長を辞めるにあたって妻と一緒に旅行をしたのではないか。退役後の好古のプライベートの記録は極めて少なく、家族との関係や好古の趣向を知ることができる貴重な資料だ」と話しています。

*写真は秋山兄弟生家に展示されていたものを撮影しています。


ということで、秋山好古、多美夫妻が旅行で訪れたという鹿島に行って参りました。

北条鹿島
北条鹿島とは松山市北条の前面400mに浮かぶ周囲約2kmの小島です。
その昔は、中世における伊予の国の覇者、河野氏の海域の古城でありました。

P1040901
その島にフェリーで渡ります。(約3分ぐらい)。

太田屋旅館
島に到着すると、まず目に入るのが「鯛めし」で有名な太田屋旅館です。

乃木希典書の戦没紀念碑
そして、乃木希典書の戦没紀念碑もありました。

続いて、登山口から鹿島頂上を目指しました。

鹿
すると、突然鹿さんに出くわします。

鹿
「鹿島」とい名だけあって、島には野生の鹿が生息しています。

鹿島城
山の中腹で、鹿島城の案内板を見つけました。

中世における伊予の国の覇者、河野氏の海域の古城跡であるが、最後の城主来島通総は豊臣秀吉の四国征伐に先鋒水軍として活躍した功により、鹿島城主に任ぜられたが、関ヶ原の戦いの際、西軍に加わった関係から、豊後国森に転封され廃城となった。島の頂上、南角等に築城、当時のものらしい石積の崩れた姿が残っている。

約20分ぐらいで頂上に到着。

鹿島頂上からの眺め
頂上からの眺めはこんな感じです。

小説『坂の上の雲』で、秋山好古が「おまえ、秋山家の先祖が伊予水軍であることを知っているか」と言うセリフがありますが、

好古自身、どんな思いでこの島に訪れたのでしょうか。

秋山好古がこの頂上に登ったかどうかはわかりませんが、一人思いにふけるのでした。

秋山好古の赴任した愛知県師範学校が判明

白鳥小学校
秋山好古が校長を務めた神戸小学校(現、白鳥小学校)

以前、秋山好古が赴任した「愛知県立名古屋師範学校付属小学校」を捜そうということで、いろいろと調べてみたのですが、結局決めてもなくそのまま諦めてしまいました。
秋山好古の赴任した愛知県師範学校

それが2009年12月10日の中日新聞で「発見!」されます。

千竈学校は1873(明治6)年、小学校に先行して設置された義校で、名古屋市熱田区の宮宿「南部赤本陣」跡につくられた。後に神戸(ごうど)小になり、戦後は白鳥小に統合された。
1972(昭和47)年の白鳥小百年誌は、秋山好古を「明治9年、18歳(数え年)の若さで神戸小校長に迎えられ、翌10年5月、校長の地位を捨て創設間もない陸軍士官学校へ入学した」と紹介。白鳥小の池田司校長は「誇らしいこと。歴史と伝統ある学区だとあらためて認識する」と話す。
同小八十年誌や郷土史「熱田風土記」も、秋山を千竈学校長と明記。月俸は当時としては破格の20円。48年に出版された風土記三巻の南部赤本陣の欄には、南部家10代新五左衛門の妻つげが教育熱心で、秋山を呼び、さらに人物を知って軍人に転向させたらしい、と記されている。
小説や伝記(1936年、秋山好古大将伝記刊行会出版)では、秋山は大阪師範学校を卒業し、愛知県立師範学校付属小に勤務後、陸軍士官学校に入学したとされる。教員時代や軍人になった動機は、よく分かっていない。
中日新聞(2009年12月9日)の記事より


何と言って良いのか、全く以て別の場所を当っていたのですね私は・・・。
そりゃ見つかる訳がありません。

それにしても、18歳で校長だったとは驚きました。

もっと驚いたのが、

司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』では秋山好古の陸軍士官学校行きを勧めたのは和久正辰となっていますが、山中峯太郎の『将軍秋山好古』では、仙台に転勤することになった和久正辰が「一緒来い」と秋山好古を誘いますが、好古自ら丁重に断り、自らの意志で陸軍士官学校に進んだと記されています。

諸説分かれてはっきりとしていませんでしたが、今回発見された記録では、南部家10代新五左衛門の妻つげが教育熱心で、秋山を呼び、さらに人物を知って軍人に転向させたらしいということが記されていますので、これは実に面白い発見です。

ちなみに、秋山好古が赴任した神戸小学校(現、白鳥小学校)のすぐ隣には熱田神宮があります。

熱田神宮
熱田神宮

熱田神宮と言えば、騎兵の天才織田信長が桶狭間の戦勝後に寄進した築地塀「信長塀」がありますが、秋山好古もこの塀を見たことでしょう。もしかすると、秋山好古が陸軍に入り騎兵科を選択したのは、ここに縁があるのではないかと想像してしまいます。

とにもかくにも、名古屋にも新しい名所ができたということはめでたしめでたしです。

秋山好古揮毫の石碑写真集

秋山好古揮毫の石碑写真集 「秋山好古揮毫の石碑写真集」

秋山兄弟生誕地公式ホームページで注文していました、
「秋山好古揮毫(きごう)の石碑写真集」が届きました。
*「揮毫」とは知名人が頼まれて文字や書をかくこと

日露戦争で騎兵を率いて活躍した松山市出身の秋山好古元陸軍大将が、全国各地で揮毫(きごう)した石碑などを紹介した写真集「秋山好古揮毫の石碑写真集」が注目を集めている。今年は秋山元大将の生誕150年にあたる。

写真は秋山兄弟生誕地運営委員会(同市)の司書、仙波満夫さん(68)が約4年間にわたり愛媛県内39カ所、県外4カ所の神社の記念碑などをめぐって撮影した。秋山元大将は揮毫嫌いで有名だったが、のちに「国家国民の思いに応えるため」として文字を記すようになったという。仙波さんは「秋山元大将の直筆から、当時の歴史を振り返るきっかけにしてもらいたい」と話している。

写真集は秋山好古、真之兄弟の生家を復元した同市の秋山兄弟生誕地で販売している。1冊3,000円。

6月8日の産経新聞ニュースより

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この人はもしや、秋山好古将軍

日英仏独露伊墺の各司令官

日英仏独露伊墺の各司令官

明治時代の北清事変に関する写真を眺めていましたら、ちょっと気になる写真を発見。

写真中央の日本人司令官に注目!

周りのヨーロッパの司令官と比べても見劣りがしない、あまりにも日本人離れした顔立ち。

どこか見覚えのある顔です。

さらに写真を拡大してみますと、

日本の司令官
写真の説明には「日英仏独露伊墺の各司令官」とだけ記載されていて定かではありませんが、この独特の顔立ちは秋山好古将軍だ。

官暦では、明治34年7月4日に清国駐屯軍守備隊司令官に任命されています。
その写真が、伝記『秋山好古』(秋山好古大将伝記刊行会/昭和11年刊)に掲載されていました。

秋山好古将軍の清国駐屯軍司令官時代(前列左端)
秋山好古将軍の清国駐屯軍司令官時代(前列左端)

始めの写真と見比べると同じ人物も写っていますので、やっぱり秋山好古将軍(当時大佐)に間違いなさそうです。

なんか、偶然にも秋山大将の写真を発見して、ちょっと興奮しています!

いやー、それにしても日本人離れした顔をしています。
さらにこの顔で当時43歳だというのだから驚きます。

騎兵の天才、織田信長(桶狭間の戦)

桶狭間古戦場
1560年(永禄3年)5月19日、尾張の織田信長が、駿河、遠江、三河を領する大大名、今川義元を桶狭間にて破ります。(桶狭間の戦)

武田信玄・北条氏康と同盟していた今川義元は、策略で奪った鳴海城支援のため、駿河・遠江・三河の三国の軍25000を率いて、5月12日駿府を発ちました。17日に沓掛城に到着した義元は、19日西に進軍します。

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