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2006-11

明治の野球を再現、「正岡子規記念球場」

正岡子規と野球

26日、東京・上野公園にある「正岡子規記念球場」で、
明治時代の野球を再現した「の・ボール」大会が開かれたようです。

本日は、その模様を紹介したYahoo!写真ニュース「雑記帳 明治の野球を再現 「正岡子規記念球場」で 東京」に、当サイト内の「正岡子規と野球」が関連リンクで紹介されました。

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ありがとうございます。

播磨灘物語

播磨灘物語〈4〉

勘兵衛は隠居が許されれば、
「如水」
という号をつけようと思っていた。「身ハ褒貶毀誉ノ間ニ在リト雖モ心ハ水ノ如ク清シ」という古語からとったのであろう。あるいは「水ハ方円ノ器ニ随フ」という言葉を典拠にしているのかもしれず、いずれにしても勘兵衛という男の号らしい。
『播磨灘物語』(如水)より


司馬遼太郎氏の『関ヶ原』の後半に登場してくる黒田勘兵衛こと黒田如水に惹かれて、『播磨灘物語』を読んでみました。

全文を読む

秋山好古、陸軍大将となる

1916年(大正5年)11月16日、秋山好古は陸軍大将となります。ついに軍令部における最高指揮官となりました。
この明治陸軍の階級を列記してみますと、

  1. 陸軍軍人とは将校より以下下士兵卒に至るまでの総称にしてかの如く大別す
    将校  准士官  下士  兵卒 
  2. 将校は将官、上長官、士官の総称なり、但し上長官を一に佐官といい、士官を一に尉官という
  3. 将官とは大将、中将、少将をいう
  4. 上長官(佐官)とは大佐、中佐、少佐をいう
  5. 士官(尉官)とは大尉、中尉、少尉をいう
  6. 准士官とは特務曹長、砲兵及び工兵の上等工長、上等計手、楽長補をいう
  7. 下士とは曹長、軍曹、伍長、上等工長を除く外なる諸工長、看護長、計手、楽手をいう
  8. 相当官とは武官に相当する諸官にして経理部、衛生部、獣医部、軍楽部等の職員をいう、これに将官の相当官あり、上長官の相当官あり、士官の相当官あり
  9. 兵卒とは上等兵、一等兵、二等兵、輸卒、助卒、看護手、楽手補、楽生をいう
  10. 将校及び将校相当官は高等官、准士官及び下士は判人官、憲兵上等兵は判人官待遇なれども、他の科の上等兵及び一、二等卒は判人待遇にあらず

『入営必携騎兵学術通解』(明治38年)より

となります。
では、最高指揮官の大将に昇進するまでには、何年を必要とするのでしょうか?
秋山好古の官歴を拝見しますと、好古は1879年(明治12年)に陸軍士官学校騎兵科を卒業し少尉となります。当時21歳です。
それからの進級は下記の表となります。
進級 最下期限  秋山好古の場合
少尉から中尉  2年 1883年(25歳) 中尉 *4年を要す
中尉から大尉  2年 1886年(28歳) 大尉 *3年を要す
大尉から少佐  4年 1892年(34歳) 少佐 *6年を要す
少佐から中佐  3年 1895年(37歳) 中佐  
中佐から大佐 2年 1897年(39歳) 大佐  
大佐から少将  2年 1902年(44歳) 少将 *5年を要す
少将から中将  3年 1909年(51歳) 中将 *7年を要す
中将から大将 定めない 1916年(58歳) 大将 *7年を要す
1887年から1891年にはフランスに留学しましたので進級が其の分だけ見送られています。また、日露戦争の奮戦にもかかわらず昇進が見送られているのがわかります。やはり薩長派閥でないと昇進は難しいといえます。
なお、中将から大将に進むには、歴戦者または功績特に顕著なる者に特旨をもって親任することになりますので最下期限を定めません。
親任とは、1886年(明治19年)の高等官官等棒給令に規定された勅任官のなかから、天皇の親任によって叙任されます。内閣総理大臣・各省大臣のほか、台湾総督と並び陸海軍大将は親任官となります。よって大将は最高級の官吏でもあります。

戦艦「三笠」のページを新設

戦艦「三笠」ここ数日は戦艦「三笠」のことについて触れていましたので、それならばということで、新たに戦艦「三笠」のページを立ち上げてみました。
日本海海戦とか戦艦「三笠」などと書くと、どうしても軍国主義者かのように思われてしまいますが、司馬遼太郎氏は著書『明治という国家』で述べられています、

「明治」という国家私は軍国主義者でも何でもありません。(中略)自分の過去に対して沈黙する必要はない。よくやった過去というものは、密かにいい曲を夜中に楽しむように楽しめばいいんで、日本海海戦をよくやったといって褒めたからといって軍国主義者だというのは非常に小児病的なことです。私はかれらは本当によくやったと思うのです。かれらがそのようにやらなかったら私の名前はナントカスキーになっているでしょう。

司馬遼太郎著『明治という国家』より

私もただ単純に、戦艦「三笠」の栄光ある歴史を留めておきたいと思うのみです。
だから「記念艦三笠」も大切に保存してゆくべきだと思っています。

「記念艦三笠」保存記念式挙行

第一次世界大戦後のワシントン軍縮会議により、日本海海戦の旗艦「三笠」は軍縮の対象となります。1924年(大正13年)10月、佐世保港外において標的艦として海底深く葬られることになりました。
しかし、
もし軍艦「三笠」が標的艦として、散々に叩きのめされた後、海底深く打ち沈められたとしたら、それが軍人の士気の上に、或は国民精神の上に、いかなる影響を及ぼすであろうか
と、廃艦反対の声が起こります。
こうして、「三笠」保存の声が高まる中、政府は国民的記念として永久保存することを閣議決定し、「三笠」を現役に復帰できない状態にすることを条件に、イギリス・アメリカ・フランス・イタリア諸政府の了解を得て、三笠保存委員会を創設し、保存工事が行われました。
そして、1926年(大正15年)11月12日、横須賀軍港で保存工事が完成し、記念式が挙行されました。
「記念艦三笠」保存記念式挙行

祝辞
東郷元帥記念艦三笠保存工事竣り玄に惶くも
皇太子殿下台臨の下に其の保存記念式を挙げらる本艦の光栄至大なりと云うべし
惟ふに本艦は明治三十七年戦役に際し終始連合艦隊の旗艦として陣頭に立ち前には旅順口及黄海に奮闘し後には日本海に応戦し以て全軍の将卒をして軍人の本分を盡すに遺憾なからしめたるは洵に我海軍史上の一大光彩たらずんば非ず。今や翕然たる中外の同情に依り其の保全の方法玄に確立するに至れり庶幾くは永久に此の雄姿を示し以て益々皇国の威名を宣掲し併せて当年の忠魂を捧げたる烈士の功績を伝うるを得んか満腔の感激を以恭しく祝す
  大正十五年十一月十ニ日
  三笠保存会名誉会長元帥海軍大将 東郷平八郎

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